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2008.11.19

続・始祖鳥記

 全く意図していないのにもかかわらず、自らの言動が思わぬ結果を生むこともあるだろう。王様は裸だ!、子どものコトバが大人の追従ぶりを暴露し、王のアホさを天下に知らしめる。『始祖鳥記』(飯嶋和一著)の幸吉もただ空を飛びたいだけだった。1785年、天明5年、備前岡山の藩政は無能腐敗、物品の流通は株仲間の大商人に独占され、多くの町人職人は疲弊した生活のなかにあった。その2年前、「弘前、盛岡、八戸など北の諸藩では数十万といわれる未曾有の死者を出した」。天明の大飢饉の発生である。そこに怪鳥のうわさが湧きあがる。ヌエが出現したと。ヌエは古来より一般住民の、支配階級への怨嗟と変革を願う思いが紡ぐ幻の鳥。凧を背に飛行実験をする幸吉の意図はどうあれ、岡山藩にとっては住民を扇動し、藩政を指弾する行為以外の何ものでもない。捕らえられた幸吉の連行姿を「認めるなり、人々は一斉に手をたたき歓声を上げた。」
 天明の大飢饉は天候不良の所為だけか、「飢えと疫病によって死んだのは他ならぬ民百姓ばかりだったことである。藩士の家で餓死した者など一人としていない。領民の三人に一人が果てたと伝えられる弘前藩が、あの秋に四十万俵におよぶ米を大阪や江戸へ廻送していたことを、心あるものは皆伝え聞いて知っている。」
 所払いの刑ですんだ幸吉の、新たな場所は海の上だった。子供のころ相撲をとった男が船頭をしている弁財船。新たな出発は幼友達の船頭も同じ、幕政と大商人の壟断する流通制度を壊そうと心していた。空を飛んだ人間の存在は、体制に異議を申したてる人々の光明だった。四十万俵の米を運んだのは廻船を業とする者、糞侍(ブサ)と大商人の言い成りになっていていいのか。従来の状況から抜け出す動きが廻船問屋のなかにしみわたっていく。飯嶋和一は次のように書く。「諸国の自主廻船である買積船の世界では、取引関係にある一方だけが富み栄え他方が貧窮にあえぐのを商いとは呼ばない。蝦夷地にはびこる飛騨屋久兵衛のごとき請負い商人どもは、海の方から見てみれば商人の名を借りた盗人に過ぎない。寛政元年の東蝦夷アイヌの蜂起はその結果噴き出したもの」
 今の時代でも「商いとは呼ばない」取引をしている大手企業はごまんとある。「盗人」を恥じない日本経済団体連合会の前・現会長である奥田トヨタ・御手洗キャノン。平成の蜂起はないと安心している彼ら。「寛政元年の東蝦夷アイヌの蜂起」が、クナシリの蜂起であることはいうまでもない。

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