巴川 うなぎ
「偽装に思う 昔のうなぎ屋」と題して、朝日新聞“ひととき”欄(7/21)に、神奈川県松田町の人が一文を寄せていた。その人は静岡県の清水出身。そのころ(昭和30年代)家の近所にうなぎ屋があり、そのうなぎ屋は近くを流れる巴川の河口付近で、自らうなぎをつかまえていた、学校へ行く途中、仕掛けを川から引上げるさまを見ていた、そんなことが書かれていた。
巴川、そして清水というと、ちびまるこちゃんが思い出される。さくらももこはエッセーに、巴川の洪水のことを書いている。朝、ふとんの中でグズグズしていたら、巴川が氾濫したという母親の声に飛び起き、姉や父親といそいで見物に行ったら、級友の家が水に浸かっていた。その級友からももこちゃん! と呼ばれたが、どういう顔をして応えたらよいか分からず困った、という話。1965年生まれのさくらももこが小学生のときだから、そのころうなぎ屋はどうなっていたのだろう。
私が小学生のころはフナやナマズなどを小川で捕まえた。たまにウナギを捕まえると大喜びしたものだ。目ん玉に目打ちを刺し、背を裂いていく親をわくわくしながら見たものだ。そのころうなぎ屋のウナギを食べることなど想像だにできぬことだった。ラーメン屋はあっても、食堂と名のつく店はなかった。今は店はあるが、川でウナギを捕まえることなんてできゃしない。ウナギも江戸の初めのころは、泥臭くてあまり好まれていなかったというが、やがて蒲焼という料理で人々の舌を喜ばせるようになり、今日では偽装問題まで発生させてしまう「商品」となった。
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