2009.06.08

道玄坂・自傷

 雑誌『創』に〈東京street!〉というグラビアがある。写真は篝一光、7月号は “東京の坂” 。5月2日に亡くなった忌野清志郎を悼む「たまらん坂」の、幾重もの花束が写っているそのページをめくったとたん、思わず息をのむ写真が目にとびこむ。こう書かれている。「『本当に切ない』と篝さんが語るその写真は、その道玄坂での朝、ひとりの少女を写したものだ。 /  街中で少女が左腕を自傷していた。鮮血がしたたり落ちる腕を隠しもせず、少女が立ち上がると、遠巻きに見守る通行人が凝視した。少女はそのまま歩き出す。/  漂流するようにホテル脇の坂を昇っていく少女の後ろを篝さんが追った。実はその先は行き止まりだった。/  工事中の塀に突き当たった少女は、崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。行く手を遮られたどんづまりの状態が、まるで少女の心象風景を表しているかに見えた。」
 なぜ自傷するのか私には分からない。分からないことが、自傷する少女の抱えているものの重さをより強く感じてしまう。雨宮処凛は『生き地獄天国』(ちくま文庫)のなかで、「他人に自分の価値を委ねることのしんどさに、心が壊れてしまいそうだ。/  だから、手首を切るしかない。/  そうすれば、一瞬だけ、全部やり直せる気がする。この苦しみもこの身体も嫌な思い出も全部消えて、一から歩きだせる気がする」と語る。彼女が自殺未遂を起こしたのは予備校に通っていたときだ。胃洗浄の「透明のチューブが、私の身体の中で大暴れする。そのたびに、私は声とも言えない声を上げてしまう。久しぶりの、肉体的な苦しさだった。皮肉にも、その強烈な痛みが、生きてるってことを実感させる」。そして看護婦さんのよく頑張ったねという声。「終わった ― 。そう思った瞬間、手首をさんざん切り終えた後以上の爽快感が私を包んだ。」
 サッカーのワールドカップのアジア予選、私は日本チームがウズベキスタンチームに負けることを期待していた。本選出場となればバカ騒ぎ、空騒ぎ、プチナショナリズムなどにうんざりするし、W杯一色に染まる世の中が不気味だし。W杯なんて私には負の存在でしかない。でも、と思う。雨宮処凛が自傷行為から完全に脱出したのは右翼活動に入ってから。投企すべき存在、自分を担保して悔やむことない存在があったのだ。ここから出発して現在の雨宮処凛がある。私は愛国主義とかナショナリズムは嫌いだ。だけど自傷行為や自殺未遂より、ナショナリズム・右翼活動の方が百倍もいいと思う。だからW杯のバカ騒ぎであれ、それが脱出の緒となれば良いと思う。W杯に価値があるとすればそれぐらいしかない。
 リストカットもこの社会の病巣が個人の体を借りて表出したものだろう。東京一の繁華街渋谷道玄坂、薄いピンクのシャツにデニムのミニスカートの少女。髪に隠れて顔は見えないが、その目は左手の幾すじもの血を見つめているのだろうか。立ち上がって歩く彼女の左腕には血が流れいる。行き止まりの鉄板の前で彼女はしゃがみ込み両手を地に突き首を垂れている。中学生なのか高校生なのか、丸くなった背中に、、彼女は何を背負っているのか。

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2009.05.18

999

 『AERA』5/25号の新聞広告に〈森田健作知事「剣道二段」も自称だった〉というのがあった。本屋で立ち読みだが、剣道の先生に二段の腕前と言われたので「剣道二段」と名乗ったそうだが、その先生の言葉が本当にあったのかどうかも今となっては確認できない。森田健作が知事になって恥ずかしいという千葉県の住民もいるが、恥ずかしいとは全然思わない人間が森田健作を選び、東京では石原慎太郎を、大阪では橋下徹を選んだ。日本全国恥ずかしいとは思わない人間が圧倒的多数であるということだ。
 イラク人質事件のときの、自己責任の大合唱以来、恥ずかしく思わない人間が常に絶対多数であり続けるものだということを私は覚った。先の15年戦争も天皇や軍部の責任は無論あるが、こうした恥ずかしく思わない人たちの責任もある、私はそう思っている。『戦争の遺したもの』(鶴見俊輔 上野千鶴子 小熊英二著 新曜社)のなかで小熊英二は、「時局に沿ってゆれ動いていくというのは、知識人や政治家だけではないですよね。鶴見さんはそういう知識人のあり方は非常に批判なさいますけれども、時局に沿って揺れ動く庶民の批判はなさらない。どうしてですか。(略)その点が丸山眞男さんと、鶴見さんの分かれ目ですね」と問うている。貴族的出自ゆえの鶴見の負い目が、丸山との差異になっているらしいが、それは置いといても政治家や知識人の責任は確かに重いだろう。だから戦争への加担を庶民との一体感として開き直る小林秀雄のような人間を鶴見は批判する。白樺派のなかで戦争協力をしなかったのは里見弴と柳宗悦だけだという。武者小路実篤も志賀直哉も戦争の旗を振った。村上春樹がエルサレム賞受賞の言い分け=受賞スピーチで、受賞拒否・イスラエル行き拒否すべきという声に、「私は人に言われたことと正反対のことをするする傾向があるのです。(略)小説家は特別な集団なのです」などと言っているが、とんでもない。世の中の流れに従順な人間が多数の「普通の集団」として小説家があるのは今までを見れば分かる。彼らは人を煽ることを商売にしているだけに質が悪い。村上春樹はそんなことを知ってか知らずか、小説家という特権性をでっち上げて自己を擁護している。使い方は異なるが、小林も村上も庶民を自己弁護の道具にしていることに変りはない。
 こうした知識人と呼ばれる人、さまざまな組織、媒体などによって煽られて、燃えてしまう絶対多数の恥ずかしく思わない生活者の人たち、多数派としての安心感に安住することによって戦争責任などというものも忌避することができる。「庶民の批判」の分かれ目は丸山眞男へ行かねばならない。だからといって、恥ずかしく思わない人たちが少なくなるとはこれっぽちもおもわないが。

 今回で999回目。ひとつの区切り。これからは週に1回になるか、2週間に1回になるか、月に1回になるか分からないけど、記載減少です。

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2009.05.16

スラム

 「インド西部ムンバイの市当局が、14日朝、米アカデミー賞で8部門を受賞した映画『スラムドッグ$ミリオネア』で子役を演じた約20人の子供たちが住むスラムの住居約50戸を撤去した」という記事が5/15朝日夕刊に載った。映画はムンバイのイスラム教徒が生活しているスラムを、ヒンズー教徒の集団が襲うところから実質的には始る。作られたこの話が、ムンバイ市の行政当局によって実際に行われたということになる。
 映画『シティ・オブ・ゴッド』(フェルナンド・メイレレス監督)もブラジルのスラムの少年たちを描いているが、出演者もスラムの少年たちだった。その中の幾人かはその後も映画に出演し活躍しているという。バフマン・ゴバディ監督の『亀も空を飛ぶ』は戦乱下イラクのクルド人の村が舞台だが、ここでは大人たちは脇役に過ぎず、スクリーンに映った少女や少年たちはクルドの子供たちだった。映画のなかで盲目の幼児を世話する少女は、映画出演で得た金で実際に目の悪い幼児の治療に当たったという。村の少年たちのリーダー役を演じた少年は、映画監督になりたいとインタヴューで言っていた。
 『スラムドッグ$ミリオネア』では、ヒンズー教徒から逃れた兄弟2人は親切な男に救われた、と思ったのもつかのま、男は子供たちを金儲けの手段とする組織の一員だと知る。子どもを効率のよい物乞いとするため目を潰し盲人とする、こうしたことを平然とする。四肢切断をして物乞いにさせる犯罪集団もあるし、臓器を金儲けにする組織もある。『絶対貧困』(石井光太著 光文社)にはこう書かれている。「物乞いは、何もせずにお金をもらっているわけではなく、『同情』を売ることで恵んでもらっているのです」。レンタルチャイルドという赤ちゃんを借り受けて物乞いをする人もいるという。著者はこんな例を上げている。生後数ヵ月の赤ちゃんを仲介者を経て借りた女性は、ずっとその赤ちゃんを借り続け、ということは育てているということになり、わが子のように愛するようなった。子どもは成長する。6歳になったとき仲介者であった犯罪組織の1人が来てその子、成長した女の子を連れ去ろうとした。売春宿へ売るためだった。2人は逃亡したが女性は殺され、少女はその後、自殺したという。

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2009.05.14

スパイ 謀略

 北京の日本大使館宮本雄二大使が情報料として約300万円手渡した相手、中国の元新華社通信外事局長が、国家機密漏洩罪で懲役18年の実刑判決を受けたというニュースが朝日5/14朝刊に載った。「現地の法令を尊重しており、何ら問題はないと考える」というのが当の宮本雄二大使のコトバだそうだが、「問題はないと考える」という行為は認めているわけだ。北京の日本大使館にはろくな人間がおらず、大使自らこんなことをしなければならなかったのかと思うと気の毒になる。紙面の伝えるところからすると、中国共産党指導部はあまり大きな問題にしたくないないのかもしれない。
 『自壊する帝国』(佐藤優著 新潮文庫)にこんなことが書かれている。旧ソ連時代のモスクワの日本大使館、駐在武官2人が黒海のオデッサに観光に行った。エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』の舞台となった地だ。ツァーリの軍隊が階段の上からオデッサの住民に銃を放つ。母親の手から離れた乳母車が階段を……港に通じるその階段の下から女の子が数名、日本大使館の駐在武官に写真を撮って頂戴。パチリとシャッターを押した瞬間、2人は屈強な男達に取り囲まれる。KGBの男達だった。撮った写真の背景にソ連海軍の潜水艦が写っていた。軍事偵察行動、KGBはそうした罪状をでっち上げ、武官の1人は国外退去、日本国も対抗措置をとり日ソ関係は冷却してしまった。当時のゴルバチョフ書記長の進めていた対日宥和政策に反対する軍部の一部が仕組んだ謀略であったという。
 中国のこの事件も中国国内の権力闘争から派生したのかもしれないし、そうではないのかもしれない。カメラのシャッターとは違う金銭の受け渡しという実態のあるスパイ事件の当事者が、中国における日本国のトップだというのはお粗末である。何かと問題のある外務省だが、時機をみて大使更迭となるのだろう。

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2009.05.11

この世界の片隅に

 薄曇のせいか見るものがふやけた感じ、と思っていたら、わずかに国府津山を上って目をやれば足柄平野はもやっている。町なみは遠くになるにしたがいぼやけ白く消えていく。もやと霧、雲の違いは知らない。定義がどうあろうと私たちの感覚はそれを分ける。山の中での霧が下から見ては雲かもしれないが、その場にいる人間は霧は霧であり雲は雲、それで困ることはない。
 一昨昨日、虹が出たが、虹を見る頻度は飛行機雲のそれより少ない。虹は昔っからあるわけだが、飛行機雲は名のとおり飛行機が登場してから。日本人の多くが飛行機雲を見るようになったのは米国のオカゲらしい。『この世界の片隅に』(こうの史代著 双葉社)は最近下巻が出て完結したが、主人公すずさんは洗濯物を干していて初めて飛行機雲を見る。米軍のB29が上空を飛んでいったのだ。その欄外にはこう書かれている。「飛行機雲が最初に観測されたのは一九三一年と言われています。高高度を飛ぶB29の引く飛行機雲は、当時はまだ珍しいものでした。」
 こうの史代は原爆を描いた『夕凪の街 桜の国』(双葉社)の作者だ。『この世界の片隅に』は呉に嫁いだ広島生まれの女性の、日常のなかに重く圧し掛かってくる戦争を上・中の2巻で、下巻では広島の両親と妹の死、呉の空襲で自分は右手の手首を失い、一緒にいた姪は命を奪われ、最後は原爆孤児の女の子を風呂に入れようとするところで終わる。その子はこんな風に描かれている。母親の隣に坐っている。やがて蝿が飛んでくる。その数は増え、母親は蝿に覆われるようになる。蝿を追い払っていた女の子はついに「ごめんなさい」と言ってそこから離れていく。この漫画は各巻680円。

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2009.05.09

 〈すてきなことも、きっと2倍〉という見出しで、虹の写真が朝日朝刊5/9に載った。8日の夕方に撮ったそうだが、「2倍」というのは虹が二重、主虹の上に副虹がかかっているから。私も昨日の夕方虹を見たが、写真のような背景が青空ではなかったしくっきりとしたものでもなかった。虹を見ることができる時間帯に夕方が多いのは、お日様の位置が低くなければ私たちに見えないから、だから東の方に虹を見ることが多くなる。
 日本では虹は外側の赤からはじまり内側の紫で終わる七色としているが、副虹はこれが逆転する。新聞の写真もよく見れば、主虹のようにはっきりと見えないが、副虹の内側が赤になっており外側へ黄色青色と変っていく。虹の色が幾色かは世界各地まちまち、日本国内においても七色以外の地があってもおかしくはない。虹は七色と生まれたときから刷り込まれているから、私は七色だと思っているだけだ。副虹が主虹のように鮮明でなく、色も逆転し、主虹より上空に弧を描くのは、日光の反射が一回の主虹、2回の副虹、その見える角度の差だそうだが、虹のなかで珍しいのは夜の虹だろう。
 映画『ホノカアボーイ』(真田敦監督)のなかで、倍賞千恵子扮する老婦人と岡田将生の青年が月の虹を見に行く場面がある。舞台はハワイ、ハワイは日本などに較べれば虹を見る条件が良いということだが、それでも夜の空に虹を見ることができる機会は少ない。だから月の虹を見たとき、願いがかなうという話が出たりするのだが、2人とも夜の闇に虹を見ることはできない。
 写真家の高砂淳二は「虹の写真家」といわれているということだが、雑誌『デジキャパ!』3月号にハワイで撮った〈ナイト・レインボー〉が載っている。キャプションは次のようになっている。「満月の夜、風で何度か通り雨が流されてきて、月が出ているのに雨が降っている、天気雨のような状況になった。すると、月の光に雨が照らされてナイトレインボーが現れた。」

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2009.05.07

グラン・トリノ

 〈人生の贈りもの〉という朝日新聞夕刊のシリーズがある。5/7はノーベル物理学賞をとった益川敏英への5回目のインタヴュー、そのなかで氏は息子のことについて語っている。専門はなにか知らないが、やはり研究者である息子はベトナム戦争熾烈極まるときに生まれたので、名前には南ベトナム解放民族戦線から「解」の字を一字とってつけたという。憲法9条が危うくなれば、軸足を研究から9条に移すと語っている人らしい名前の付け方である。
 ベトナム戦争のため故郷をのがれ米国に逃げた民族がいる。米国が自国の兵士の損耗減少を謀り、インドシナ半島の高地民族モン族を北ベトナム=南ベトナム解放民族戦線と戦わせ利用、米兵の死者の3倍以上の犠牲者が出たとされる。米国敗退後モン族は迫害され、十数万人が米国へ逃げたという。このモン族の一家と隣家の孤独な老人との関係を、映画『グラン・トリノ』(クリント・イーストウッド監督)は描いている。モン族はベトナム戦争時の米国が犯した罪悪の象徴としてある。
 『グランド・トリノ』はベトナム戦争のほかにも朝鮮戦争も背景としてある。イーストウッド演じる老人は朝鮮戦争で何らかの心の傷を負っている。それだけではなく映画にはさまざまな民族が出てくる。モン族の他に黒人、ヒスパニック系、同じ白人でも東欧やスペイン系。人種差別と民族差別のなかで適応できずに荒れる若者。日本車を売るのに忙しい息子と1972年製の〈グラン・トリノ〉を愛する自動車工だった老人。教会と老人の関係は私にはわからない。イーストウッドの手腕もあるだろうが、脚本(ニック・シェンク)がこの作品の水準を決めていると思う。ただ、治らぬ病に侵されたらしいとはいえ老人の最期はかっこよすぎる。だから隣家のモン族の娘をレイプした同じモン族の若者たちの存在が、狂言回し的役割に過ぎなくなってしまう。この若者達の描き方によっては、映画はもう少し違っていただろうに。

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2009.05.05

ティッシュ

 朝日新聞5/5第一面に〈縄文杉前 渋滞〉という見出しの写真つき記事があり、社会面には〈屋久島「過剰利用」を懸念 携帯トイレ導入 入山規制へ動き〉、第五面に、“総無垢 屋久杉「神棚」” という全面広告が載っている。記事と広告、無関係ということは多分なく、連動しているんだろうなあと勘繰るのは下種だからだが、屋久杉の「三社仕立ての入母屋造り」のお値段25万8千円と34万8千円。ホームセンターあたりでは高い神棚で1万円前後。お金のある人は神や仏に金をかけることによって、吝いぶりの打ち消しをはかる(と思う)から、「三社仕立ての入母屋造り」はきっと売れるだろう。
 この4日みどりの日に縄文杉に訪れた人は約1千人、縄文杉を見るデッキは順番待ち、年間では10万人の訪問者、屋久島町では入山規制の条例を議会に出す予定。1日だけで千人の人が入山するとトイレが大変、ルート上5ヶ所に目隠しテントを設置、1個500円の携帯トイレですましてもらう、そんな内容の記事だった。
 屋久島へ行ったのは十年以上前だと思うが、初日は淀川小屋に宿泊、次の日に宮之浦岳・永田岳を登り、縄文杉の近くに建つ旧高塚小屋に泊まった。縄文杉は独り占めのようなものだったが、トイレはどうしたか憶えていない。避難小屋に通常トイレはない。だからそのあたりにティッシュが散らばっていることが多い。丹沢の宮ヶ瀬ビジターセンターが発行しているメルマガ『ヤマセミだより』に、西丹沢の一軒屋避難小屋周辺のティッシュは目に余る、ティッシュは持ち帰ろう、という呼びかけが載っていた。数年前から私もティッシュは持ち帰るようしているが、それまではそうした意識がなく、危なくないところでは紙を燃してしまうことぐらいしかしてなかった。立ち読みしただけで題名も忘れてしまった本だが、環境によって分解されるところなら野糞も良し、拭くのは柔らかい枯葉や枯草をつかい、そのあと少量の水を手につけてきれいにする、ティッシュは使わない、というようなことが書かれていた。山の中では水は貴重だから、紙に頼らざるをえないが、持ち帰るようしなければ。

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2009.05.02

夕日

 ちょっと遅く国府津山へ行った。下りてくるときは夕日が山に隠れるころ。携帯で写真を撮っている女の人がいる。近くの人だろう、ひょこっと外へ出たという感じで、落ちる夕日と冨士と箱根の山。通り過ぎようとすると呼び止められて、撮った画像を開いてきれいでしょうと見せてくれる。Tawa0294 現物が目の前にひろがっているのだからきれいなのは分かっているが、このきれいさを誰かと分かち合い、そして共感してほしいのだろう。感動しちゃって、足止めさせてわるかったね、と言ってその人は再び夕日に向ったが、左の画像はそのきれいさの証拠。富士山と矢倉岳の交差点に光環のあるお日様が落ちていく。
 日の出の光は強くて直視しているのはつらいが、日の入りの光はやわらかく穏やか。それでも写真だと太陽が白く見えるのは変らない。全ての光の波長を持っている太陽は、それだからこそ白く見えてしまう。紫外線の見える昆虫も白く見えるのだろうか。赤外線写真というのは暗闇を撮るときに利用されるが、紫外線写真として花を撮れば、昆虫はこんな風に見えているのかもしれない、ということになる。         http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070809_insect_eye/を開くとそうした画像が載っている。花の色はサイケデリックだけど、花粉が鮮明に写っている。

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2009.05.01

普遍 特殊

 横断歩道でちょっと立ち止まったら、前を歩いていた白い装束を着た人からリーフレットを手渡された。悩みがあったら来て下さい、と。いわゆる新宗教の類だろう。リーフレットを見たら「天皇道」という文字がある。それについての説明がないから、なんのことか分からないがあまりたいした意味はないのだろう。意味がないと言えるのは私がその宗教とは全く関係ないからで、白い装束を着た人にとっては重大なものかもしれない。宗教とはすべからくそういうものなのだ。つまり普遍性がない。世界宗教とされるキリスト教にしろイスラム教にしろそれはかわらない。ナザレのキリストが処刑された後に復活したという話はキリスト教徒の間では有効であっても、それ以外の人にとってはバカ話にすぎない。
 週刊金曜日5/1号に、〈創られた神々 海外神社の現在〉(写真・稲宮康人)というグラビアがあった。かつての侵略した地である台湾の神社址を撮ったものだが、社殿などは残されておらず、鳥居がオブジェになったりしているが、狛犬や手水舎、石灯籠がそのままのものもある。朝鮮や中国の地にも大日本帝国は神社が建てたが、侵略の象徴としての役割しか果たさなかっただろう。天皇に収斂する建物に、誰が畏敬の念を持つものか。
 「敗戦となった年の秋、青島の忠魂碑と青島神社は解体撤去されたという。そのとき、日本人は現場に近づくことをゆるされなかった。遠くに中国人の喜びの歓声が聞こえたという。中国がわの官と民が協力して作業にあたった。最後に残った残骸のうちで、焼却できるものには火がつけられ、黒い煙が遠望されたという」(『戦争のなかで考えたこと』日高六郎著 筑摩書房)。

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«保護≠破壊