道玄坂・自傷
雑誌『創』に〈東京street!〉というグラビアがある。写真は篝一光、7月号は “東京の坂” 。5月2日に亡くなった忌野清志郎を悼む「たまらん坂」の、幾重もの花束が写っているそのページをめくったとたん、思わず息をのむ写真が目にとびこむ。こう書かれている。「『本当に切ない』と篝さんが語るその写真は、その道玄坂での朝、ひとりの少女を写したものだ。 / 街中で少女が左腕を自傷していた。鮮血がしたたり落ちる腕を隠しもせず、少女が立ち上がると、遠巻きに見守る通行人が凝視した。少女はそのまま歩き出す。/ 漂流するようにホテル脇の坂を昇っていく少女の後ろを篝さんが追った。実はその先は行き止まりだった。/ 工事中の塀に突き当たった少女は、崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。行く手を遮られたどんづまりの状態が、まるで少女の心象風景を表しているかに見えた。」
なぜ自傷するのか私には分からない。分からないことが、自傷する少女の抱えているものの重さをより強く感じてしまう。雨宮処凛は『生き地獄天国』(ちくま文庫)のなかで、「他人に自分の価値を委ねることのしんどさに、心が壊れてしまいそうだ。/ だから、手首を切るしかない。/ そうすれば、一瞬だけ、全部やり直せる気がする。この苦しみもこの身体も嫌な思い出も全部消えて、一から歩きだせる気がする」と語る。彼女が自殺未遂を起こしたのは予備校に通っていたときだ。胃洗浄の「透明のチューブが、私の身体の中で大暴れする。そのたびに、私は声とも言えない声を上げてしまう。久しぶりの、肉体的な苦しさだった。皮肉にも、その強烈な痛みが、生きてるってことを実感させる」。そして看護婦さんのよく頑張ったねという声。「終わった ― 。そう思った瞬間、手首をさんざん切り終えた後以上の爽快感が私を包んだ。」
サッカーのワールドカップのアジア予選、私は日本チームがウズベキスタンチームに負けることを期待していた。本選出場となればバカ騒ぎ、空騒ぎ、プチナショナリズムなどにうんざりするし、W杯一色に染まる世の中が不気味だし。W杯なんて私には負の存在でしかない。でも、と思う。雨宮処凛が自傷行為から完全に脱出したのは右翼活動に入ってから。投企すべき存在、自分を担保して悔やむことない存在があったのだ。ここから出発して現在の雨宮処凛がある。私は愛国主義とかナショナリズムは嫌いだ。だけど自傷行為や自殺未遂より、ナショナリズム・右翼活動の方が百倍もいいと思う。だからW杯のバカ騒ぎであれ、それが脱出の緒となれば良いと思う。W杯に価値があるとすればそれぐらいしかない。
リストカットもこの社会の病巣が個人の体を借りて表出したものだろう。東京一の繁華街渋谷道玄坂、薄いピンクのシャツにデニムのミニスカートの少女。髪に隠れて顔は見えないが、その目は左手の幾すじもの血を見つめているのだろうか。立ち上がって歩く彼女の左腕には血が流れいる。行き止まりの鉄板の前で彼女はしゃがみ込み両手を地に突き首を垂れている。中学生なのか高校生なのか、丸くなった背中に、、彼女は何を背負っているのか。
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